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広告とマーケティングの四方山話です

誰も戦争を教えてくれなかった

古市憲寿氏の著書である。2013年刊。著者が世界中の戦争博物館を見て回って、その展示から見えてくる各国の戦争に対する考え方を比較して論じている。

著者の一番の関心は、「あの戦争」に対する日本人の態度のこと。あの戦争とは、第二次世界大戦だ、と思っているわたしはすでに、著者の批判の対象となる世代なんだろう。もちろん、戦争体験はないけれど、父親の話や書籍や映画を通じて、必死に学んでいる。その中でも、あの戦争に対する認識は、いろいろなグループによって異なる。そういうものかも知れないが。

しかし、戦争についての「大きな記憶」として共有されているのは、悲惨さであり、それはまるで大きな自然災害で被害を受けたかのように語られることが多く、誰にやられたのかとかそもそもなぜ戦争が起こったのか、という話には進展しないことが多い。映画や文学も、被害者としての祖先たちの姿が描かれていて、その上で戦争はいけないものだという、大きな結論に達している。でも本当にそうなのか。著者は疑問を抱く。

あの戦争の物語は、すでに有効ではないと認識することから考えはじめなければならないのだと著者は論じる。別になかったことにしようというわけじゃない。年齢だけでなく、教育や政治によって、戦争を知らない世代が大半、それが今の世の中なのだ。それに戦争という概念も変わってきている。湾岸戦争がハイテクでテレビゲームのようだと驚いたが、今起こっている侵略はハイテク兵器とサイバー攻撃プロパガンダ、それに昔ながらの略奪が一斉に起こっていて、しかも、悪いことをしているとわかっていても、世界大戦にならないように、他の国は手を出すことはできない。もちろん、侵略者はそれをわかって戦争を始めたのだ。また、パンデミックの中で、戒厳令下のような状況になっている国もあるし、戦時中と同じくらいの死者が増え続けている。戦争とは言えないけれど、これも「戦時」と似ていないだろうか。

戦争は良くないと言っても、では戦争を防ぐにはどうしたらいいのだろうか。侵略された場合、戦争は良くない、と言うしか手はないのだろうか。今の私には即答できない。でも考え続けていくしかない。8月は戦争のことを考えてみようと思って読んだ本だったけれど、もう9月になってしまった。