Between Kokoku and Advertising

広告とマーケティングの四方山話です

ハヅキルーペのマーケティング戦略 独自性の低い商品の戦いかた

ハヅキルーペのユニークなCMは、新しいCM手法を創りだしていて、簡単に真似できない。しかし、その表現よりも、明解な戦略は類似品を排除するために、知名度を獲得することだったという。商品自体はそれほど独自性はないと考えた社長は、すぐに類似品が投じようするだろうと予測していた。そして、商標や類似性が問題になったときに裁判で勝つために、CMで一気に知名度を獲得しようと考えで実践。100億円の広告費がかかったが、すでに140以上のコピー業者を排除したという。

(2ページ目)ハズキルーペ会長が明かす、広告費に100億円かけた〝本当のワケ〟|@DIME アットダイム

変わってきた音楽ビジネス

バックストリートボーイズの新CDアルバムは、コンサートチケットを買った人全員の家に郵送された。これによって、記録的なCD売上げを達成。ピンク、ケイティ・ペリーも同じやり方をしている。--2019グラミー賞より--

ブランドになった病気

2015年のカンヌ広告祭で、ALS Ice Bucket Challengeが2つのGoldを獲得した。世界のセレブと、ビジネス界の大物つまり金持ちたちが氷の入ったバケツを嬉嬉として被り、指名された人々がその輪に、これまた嬉嬉として加わる。このキャンペーンを観た時から、成功とすると思ったし、よくオーガナイズされていると思った。広告屋としては最高の栄誉だし、クライアントもうれしいだろう。しかし私はなにか苦いものを感じた。もう広告屋じゃなくなってしまったのだろう。Aという難病があっという間に世界に知れ渡る。お金も集まる。Aの関係者の皆さんおめでとう。やったね! そして世の中にはBという死に至る病気もまた存在する。誰にも知られていないし、研究のお金も集まらない。どうしたらいいのだろう。Bの関係者も広告代理店に電話すべきなのだろうか。静かに支援者を集めていく方法は他にないのだろうか。いいアイデアは残念ながら私にはない。でもブランドになった病気とならなかった病気がこの世の中にはある。ソーシャルネットワークに振り回されるのを楽しんでいるこの世の中には。

女性のためのって、本当なのかな

近頃、「女性にうれしい」とか「女性にやさしい」とかいう広告が多い。かつては(すごい古い話ですけど)、そういう広告表現があると、女性団体が広告主を糾弾していたが、近頃はスルーなんだろうか。本当に女性のための機能があるのなら、正当な表現だと思うけろど、どうなのだろう。安易な表現として使われているのなら、残念だ。

日本という共鳴箱

2020東京オリンピック招致決定おめでとう! それはうれしいことだけど、

メディアが報じる騒ぎぶりに驚いている。プレゼンテーションは上手だった。

ロビー活動もがんばったのだと思う。福島のことはうまくごまかした。

みんなが同じ方向を向いているかのように、街の声も混ぜ合わせて報道するメディアの態度に危うさを感じる。戦争はこういう雰囲気の時に始まるのではないだろうか。

実際には、異なる考えを持つ人は大勢いると思う。けれど、テレビの中の日本は、

同じことを、そして過去形となったことを、何度も何度も増幅して伝える。

勝因を分析するのも大好きだ。でも、オリンピックは東京都のイベントではない。

世界のアスリートの祭典であるはずだ。おもてなしを本番で発揮する前に、

自分とは違う価値観の他者に対する思いやりを発揮すべきだと思う。

共鳴箱の中にいると、熱狂に包まれて高揚する。

けれど、そこで渦巻く価値観と異なる声はかき消されてしまう。

共鳴箱の外に出ようと思う。熱狂に渦に巻き込まれないように、

自分のすべきことを粛々とやり続けようと思う。